今津智士の作品達(主にアクリル画)のサイト

Satoshi Imazu(旧トモロオ)の描いた絵で、アクリル画を中心に紹介しています

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Title
Size / Art supplies
B2/イラストレーションボードにアクリル水彩
Production year
2002
Comment
以前に製作した「r」シリーズより社会的なメッセージを込めつつ、自分の昔の作品や、ルーツをもう一度考えつつ製作した作品達です。
社会、人生、人間関係などの、上下の下を表現してみました。
と比べていかがでしょう?


今日は相対って言う言葉を考えてみた。

ちょっとだけ調べてみると…

『互いに他との関係をもち合って成立・存在すること』

ようするに、ある一つの価値観や基準を元に
他を比べる事。みたいな感じです。

簡単にいうと、歩く速度を相対的に言うと…
走るのよりも遅い。

という事。

若干微妙な感じがあるが大体そんな感じ。

で、何を考えてみたかと言うと
何となくですが世の中を相対的に考えるのは
良くないなって思ってみた。

まず、基準を作ってその基準を元に他を測るので
その基準自体が間違っていたら、
全ては間違っているということになる。

その基準も現在の価値観によって決められる事が
あるから、その価値観に寄って全ては変わる。

価値観はあくまでも『絶対』では無いので
したがって相対的とは現在の一方的な立場
もしくは極限られた視点から捉えただけの
「仮」の評価に過ぎないのでは無いだろうか?

物事を正しく見分けるには、その『基準』の『価値』を
別な角度から眺め、そして測る。

そして、もともとの『基準』からの景色と比べる。

もちろん角度も色々有るから、出来るだけ多くの
角度から眺め、その全てを照らし合わせる。

そうやって、やっと一つの答えが見えてくる。

相対は平面上ではあくまでも一方的な直線であり
全体は直線が限りなく集まった限りなく『球』に近い
形だと思う。

『相対性理論』の光や重力の関連もある一定の
見方では正しいのかもしれないが、全体としては
世界を構成するルールの一つに過ぎない。

まったく上手く説明する事は出来ないが、
芸術家としての想像力を働かせると、何となくですが
『相対性理論』は、間違いな気がする。

というか、ある意味言えているが、物理の全てに当てはまる
という訳ではない。と思う。

何となくですが、きっと僕の考えは正しいと思う。

ちなみに、『1』等の『数字』も相対的な仮の価値観であり
正確にはこの世に存在しない。

一番最後に発見されて数字『0』のみが唯一存在する。

虚数などの数字が存在する事自体矛盾している。

しかももし、相対的な存在である『数字』を相対的として
正しく表示させるには全て分数で表示する必要があると思う。

例えば、数字の『3』は、1分の3とか、2分の6とか…。

なぜならば、世の中に実際には3分の1というものは存在する。
3つの内の一つだったり、一つのものを均等に3つに分けたり、
でも実際に存在するものを整数で正確に表す事は出来ない。
1.3333333333…みたいに。

単純な考えですが、矛盾する事はそれは間違っている。
ということ。

ちなみに…
が長くなってしまった。

satoshi • 2010年1月19日


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